はじめに
明治時代、日本の神社には厳格な序列制度が存在していました。
今回は、意外と知られていない神社の格付け制度について、その歴史的背景や意義を詳しく解説していきます。
社格制度の成り立ち
靖国神社は「上から7番目」…日本人が意外と知らない「神社には序列がある」という「驚きの真実」 https://t.co/kj6nhK4Sxi #現代ビジネス
— 現代ビジネス (@gendai_biz) February 10, 2025
明治政府による神仏分離
1871年(明治4年)、明治政府は神社の格付けである「社格」制度を制定しました。それまでの日本では、神道と仏教が混在する神仏習合が一般的でした。
しかし、明治政府は古代の祭政一致の形を取り戻すことを目指し、神仏分離を推進。その一環として、神社行政を担う神祇官を復活させ、神社を「国家の宗祀」として位置づけました。
社格の階層構造
社格制度は大きく「官社」と「諸社」の2つに分類されました:
- 官社(神祇官が管轄)
- 官幣大社
- 国幣大社
- 官幣中社
- 国幣中社
- 官幣小社
- 国幣小社
- 別格官幣社
- 諸社(地方官が管轄)
- 府県社
- 郷社
- 村社
- 無格社
社格の決定基準
祭神による格付け
社格の決定には、主に祭神の位階が重要な基準となりました。例えば:
- 天皇を祀る神社(橿原神宮、平安神宮など)→官幣大社
- 皇子を祀る神社(鎌倉宮、金崎宮など)→官幣中社
- 臣民を祀る神社(靖国神社など)→別格官幣社
特筆すべきは、靖国神社が上から7番目の別格官幣社に位置づけられていたことです。
これは、靖国神社が祀る英霊が「臣民」であったためで、生まれながらの皇族や神々を祀る神社より下位に置かれていました。
社格決定の他要因
祭神の格だけでなく、以下の要素も社格決定に影響を与えました:
- 神社の規模や社勢
- 朝廷とのゆかり(22社は全て官幣社に)
- 地域における重要性(地方の一宮は国幣社に)
特別な存在としての伊勢神宮
伊勢神宮は、この社格制度の対象外とされました。特に皇室の祖神であるアマテラスを祀る内宮は、全ての神社を超越した特別な存在として扱われました。
ただし、これも明治以降に確立された考え方でした。
社格制度の特徴と変遷:まとめ
流動的な制度
社格は固定的なものではなく、神社の発展に応じて変更が可能でした。例えば、県社から官幣小社への昇格なども行われていました。
地域性への配慮
国幣社には、地方の重要な神社が多く含まれており、地域の歴史や文化的価値も考慮されていました。例えば、島根県の熊野神社や新潟県の彌彦神社などが国幣社として認定されています。
この社格制度は、明治政府による神道国教化政策の一環として機能し、近代日本の国家体制を支える重要な制度として確立されました。
現代では法的な効力を持たないものの、当時の社会構造や価値観を理解する上で重要な歴史的資料となっています。
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