はじめに
長崎県長崎市の沖合に浮かぶ小さな島、**端島(はしま)**は、かつて炭鉱の島として知られ、最盛期には世界で最も人口密度が高い場所のひとつでした。
その独特の外観が軍艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」と呼ばれるようになり、今では世界的に有名な廃墟スポットとなっています。
この記事では、端島の歴史、廃虚となった経緯、観光情報、さらには世界遺産登録について詳しく解説していきます。
目次
端島の歴史
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石炭採掘の始まり
端島が注目を浴びるようになったのは、1810年に石炭が発見されたことがきっかけです。
本格的な採掘は1890年から始まり、三菱による採掘事業が進展することで、島は一気に発展しました。
当時の日本は近代化の真っただ中であり、石炭は産業革命を支える重要なエネルギー源でした。端島の炭鉱は日本の近代化における重要な役割を果たしていたのです。
島の最盛期
1950年代から1960年代にかけて、端島の炭鉱は最盛期を迎え、5,000人を超える人々が生活していました。
面積が0.063平方キロメートルという狭い島にこれだけの人口が住んでいたため、人口密度は東京都心の9倍以上にもなったと言われています。
島には高層アパートや学校、病院、映画館、さらにはプールまで整備され、当時としては最先端の生活インフラが整っていました。
廃墟となった経緯
エネルギー政策の転換
1970年代に入り、エネルギー政策の転換が進む中で石炭から石油への需要シフトが進みました。
これに伴い、端島の炭鉱も徐々に採算が取れなくなり、1974年には閉山。全ての住民が島を離れ、無人島となりました。
以降、端島は長らく放置され、コンクリート建造物が自然に侵食される廃墟となりました。
世界遺産登録と観光地化
2015年には「明治日本の産業革命遺産」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録され、世界的に注目を集めるようになりました。
現在は観光地として多くの人が訪れるようになり、ツアー形式で一部のエリアが見学可能となっています。
軍艦島観光のポイント
見学ツアー
現在、端島に訪れるには長崎市内から出発する軍艦島上陸ツアーへの参加が必要です。
ツアーでは、安全のため上陸できるエリアが限定されており、ガイドの解説付きで島の歴史や建物について学ぶことができます。
圧巻の風景
島内には、コンクリートが崩れかけたアパートや廃墟化した施設がそのままの姿で残っています。
これらの景観は、かつての繁栄と無人化した現在の対比を強く感じさせ、訪れる人々を圧倒します。
写真スポット
島の周囲から見るその姿は、まさに軍艦のようであり、迫力ある写真を撮影する絶好のスポットです。
また、廃墟好きにはたまらない独特の雰囲気も大きな魅力です。
軍艦島にまつわる課題
軍艦島が観光地として有名になる一方で、建物の老朽化が進んでおり、保存と観光の両立が課題となっています。また、世界遺産登録に関連して、歴史認識の問題も議論されることがあります。
端島、通称「軍艦島」まとめ
端島、通称「軍艦島」は、かつて日本の産業を支えた炭鉱の島であり、その後無人島となった現在も、その歴史や廃墟の美しさで多くの人を惹きつけています。
訪れる際には、単なる観光地としてではなく、島が辿った歴史やそこに住んでいた人々の生活を想像しながら見学することで、より深い感動が得られるでしょう。
あなたもぜひ、軍艦島の独特な魅力を体感してみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただきましてありがとうございました。(^^♪