北村兼子とは?関西大学初の女子学生の短くも輝かしい生涯を徹底解説

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はじめに

日本の大正から昭和初期にかけて、女性の権利と社会進出のために奮闘した先駆者がいました。関西大学初の女子学生として歴史に名を刻み、ジャーナリスト、女性運動家、そして飛行士としての多彩な顔を持つ北村兼子さん。

2025年2月27日、彼女の死後94年を経て、関西大学から特別卒業証書が贈呈されました。この記事では、わずか27歳という若さで亡くなりながらも、日本の女性史に大きな足跡を残した北村兼子さんの生涯と功績を振り返ります。

男性社会に挑んだ先駆者

関西大学初の女子学生として

1903年(明治36年)11月26日、大阪に漢学者・北村佳逸氏と勝野さんの長女として生まれた兼子さんは、梅田高等女学校(現大阪府立大手前高等学校)を卒業後、大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)で学びました。

そして1923年(大正12年)、当時女性の大学正規入学が認められていなかった時代に、関西大学法学部法律学科の聴講生としてドイツ法学を学び始めます。これは関西大学初の女子学生となる快挙でした。

大学在学中の22歳の時、大阪朝日新聞社の社会部記者として採用されます。当時、新聞社の記者として女性が働くことは極めて珍しく、兼子さんは福岡や神戸の歓楽街への潜入取材などで注目を集めました。

しかし、働く女性への差別意識が強かった時代、複数の男性と関係があるなどとするゴシップ記事が出回ることもありました。

兼子さんはそれらに対して自身の著作の中で堂々と反論し、女性の社会進出を妨げる偏見と闘いました。

ジャーナリストとしての活躍

1927年に朝日新聞を退社した後も、北村兼子さんは国際ジャーナリストとして活躍を続けます。

女性の権利、特に参政権の実現に向けた活動に力を注ぎ、1929年にはベルリンで開催された万国婦人参政権運動の国際大会に日本代表として参加しました。

彼女の執筆活動は多岐にわたり、「婦人」「婦人倶楽部」「法律春秋」などの雑誌に女性の社会的地位に関する記事を多数寄稿しました。

また文芸・文化についても「藝術」「女人藝術」などに執筆し、幅広い分野で活躍しました。自伝として『婦人記者廃業記』(1928年)を出版し、女性記者としての経験や当時の社会状況について率直に語っています。

大空への憧れと挫折

日本の女性飛行士のパイオニア

北村兼子さんは海外訪問の中で航空機に魅せられ、新たな挑戦として飛行士を目指します。1930年(昭和5年)、東京の立川にあった日本飛行学校に入学し、翌1931年7月6日に飛行士の免許を取得しました。

当時、世界的に女性パイロットが注目を集め始めていた時代で、イギリス人のミルドレッド・メアリー・ブルースが1930年に初のイギリス-日本間単独飛行を成功させていました。

兼子さんは自らヨーロッパへ飛行する計画を立て、1931年8月14日の出発を目指して準備を進めていました。

若くして散った花

しかし、その大きな夢は実現することなく、出発を前に腹膜炎が悪化し、1931年(昭和6年)7月26日、わずか27歳という若さで亡くなりました。

彼女の死後、遺著として『大空に飛ぶ』が10月に出版され、父の北村佳逸氏による略歴と解題が収められています。

時代を超えた功績の承認

特別卒業証書の贈呈

北村兼子さんの死から94年後の2025年2月27日、関西大学は彼女に特別卒業証書を贈呈しました。

関西大学が大学昇格100年を迎えた2022年、ちょうど北村さんが聴講生として入学してから100年目にあたり、「志の高さを賞したい」という声が校友会から上がったことがきっかけでした。

おいの北村高さんが関西大学千里山キャンパスで証書を受け取りました。高さんは「兼子も喜んでいると思います。

でももし生きていたら、これを受け取らずに改めて大学に入学し直すような気もします」と述べ、祖母や母から聞いてきた兼子さんの人柄を偲びながら「好きなことに打ち込める恵まれた家庭環境だったことも大きいが、男性社会の中で懸命に生き抜いた兼子さんの生き方を知ることが、誰かの力になることがあればうれしい」と話しました。

まとめ:北村兼子さんの遺したもの

北村兼子さんの短い人生は、まさに明治・大正・昭和初期の日本女性が直面していた社会的障壁と、それに果敢に挑戦した先駆者の姿を象徴しています。

大学教育、ジャーナリズム、国際的な女性運動、そして航空という、当時の女性にとってはほぼ手の届かなかった領域に次々と挑戦し、道を切り開いていった彼女の生き方は、現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。

関西大学が100年の時を経て彼女に卒業証書を贈呈したことは、単に過去の偉人を顕彰するだけでなく、今なお続く男女平等への道のりを思い起こさせる象徴的な出来事といえるでしょう。

北村兼子さんの「自分のやりたいことを目標にかかげ、突き進む」という生き方は、時代を超えて多くの人々に勇気と希望を与え続けています。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。(^^♪

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