旧暦、1月24日は日忌様(ヒイミサマ)の日、と言われて海を見たら海にさらわれるから見てはいけないと言われているようです。
そんな都市伝説「日忌様」のことが気になったので調べてみました。
この記事を読むと都市伝説「日忌様」の事や海難法師、アクセス、口コミ情報が分かります。
伊豆大島 都市伝説ヒイミサマや海難法師って何?
Eテレの島旅ニッポンで伊豆大島やってる❣️岡田港から出航するさるびあ丸のお尻。もう見られない景色。
— しんこ (@heureuse0925) June 18, 2020
ヒイミサマ伝説を取り上げてくれるなんて、ステキすぎる!! pic.twitter.com/eznrNAMn2c
海難法師とは、以下になります。
伊豆七島に伝わる幽霊の一種。
水難事故で死亡した者の霊とされていて、たらいに乗って沖からやってきて、その姿を見た者は同様の死に様を晒すと言われている。
引用元:Wikipedia
海難法師とは人間ではなくて幽霊の一種となっています。
江戸時代に豊島忠松という八丈島の悪代官が島民たちを苦しめて憎まれていたようです。
そんな悪代官を亡き者にするためにいろいろ工作をしたようです。
伝説には二通りあるようです。
悪代官を亡き者にしようとするところまでは同じようです。
一つ目は、わざと海が荒れる日を選んで、悪代官に島巡りをするように勧めて罠にはめて亡き者にしたようです。
それ以来、毎年旧暦の1月24日になると豊島忠松の霊が海難法師となって島々を巡るのだということが1つの伝説のようです。
もう1つの伝説は、25人の若者が暴風雨の夜に悪代官を亡き者にすることを決行し、船で逃亡したというものです。
逃亡したのはいいのですが、誰もその若者たちを匿まってくれる人はいなくてあちこちと彷徨った挙句、1月24日に海難事故で全員が死亡したという事のようです。
要は村人たちのために行った事なのに村人の誰も、25人の若者を助けることをしなかったのです。
村人たちに裏切られたということになるのです。
村人たちに裏切られて、この世に恨みを残して死んだ怨霊が島々を巡るという怨霊伝説になっているようです。
そして若者25人の霊は日忌様(ヒイミサマ)と呼ばれ、日忌様の祠が祀られているようです。
悪代官が海難法師、25人の若者が日忌様(ヒイミサマ)という事のようです。
伊豆七島では、1月24日は決して家の外には出てはいけないようですし、家の外に出ると祟りがあると恐れられているようです。
トイレに行くためにどうしても外に出て用を足すときは、頭にトベラの葉をつけたり、袋を被って風景を見ないように移動しなければならないようです。
そういうことを信じない人が外出したところ、その人は災いを被ったと言われています。
何だかとても気味が悪い感じがします。
このようなところに住みたくないですよね。
波治加麻神社のアクセスは?
違う地区だったけど、昔子供の頃からうちの爺様に「ヒイミサマの日」は海を見たら海に拐われるから見ちゃいけねえってしこたま脅されてた。
— K (@81713241) June 18, 2020
懐かしい。#伊豆大島#ヒイミサマ 、 pic.twitter.com/K82AqHhvL0
波治加麻神社のアクセスは以下のグーグルマップをご覧ください。
徒歩で57分、自転車で24分、車で11分くらいの距離のようです。
大島空港(東京大島カメリア空港)からは以下になります。
車で15分くらいの距離です。
楽しめそうですね。
口コミ情報!


口コミ情報は以下になります。
大通りから1本脇道に入ったところにある神社。バスの際は「椿トンネル」で下車、徒歩10分程度。
杉が綺麗に生えていて参道になっています。途中からは他の木も混ざり、道も凸凹に。木が生い茂っていて陽の光は入ってきますが、薄暗くちょっと怖いです。
鳥居から5分弱で本殿へ着きます。
お手水は湧き出ている物ではなく雨水のようで、コケも多かったため使用しませんでした。本殿は雰囲気が異なり、畏怖の念を抱きました。
引用元:Google
波治加麻神社まで行くのなら、是非ともヒイミサマの祠へも足を運んでみてください。波治加麻神社本殿は鳥居をくぐり、数分歩くだけで着きます。
その途中、祠がいくつかありますが、それらはヒイミサマの祠ではありません。
場所が分からなかったので、泉津に住んでいらっしゃるご家族に聞き、「今から行くけど一緒にいきますか?」という、非常にありがたい言葉をいただき着いてきました。
波治加麻神社の鳥居をくぐる道ではなく、すぐ左横に森の奥へと通じる道があります。その道を進むと左側に看板がでているので分かります。
(写真をアップします)Webの伊豆大島ナビでは、ヒイミサマに関しての記述はありますが写真はヒイミサマの祠ではありません。
東京都委員会のWebページに載っている、2つが寄り添う祠が正確なヒイミサマの祠です。
泉津の方々には大変興味深い話と、元町の方との温度差など面白い話を聞くことも出来ました。
波治加麻神社とヒイミサマの祠はオススメできます!!
引用元:Google
とてもありがたい口コミ情報です。
是非参考にしてヒイミサマを確認してください。
ネットでは都市伝説日忌様については?
サニーパッションとヒイミサマ
— ダーマン@原稿中 (@RakanKen_AC) August 17, 2021
※微ホラー注意#lovelive #lovelive_superstar pic.twitter.com/SQARcEB5xy
ネットでは以下になります。
⑤島では、若者たちを祀って、その徳を忘れないようにしている。なのに一方、恐怖の対象として、恐れおののいている。この複雑な心情が、ヒイミサマを永遠に生かしてます。これも日本人特有の細やかな心情のせいでしょうか。翌日になると、昨夜の緊張はきれいに消え、みな晴れやかな顔になります。
— 大谷羊太郎 (@otaniyotaro) June 20, 2020
今テレビで伊豆大島の「ヒイミサマ伝説」なるものをやっているんだが…こういう風習は大事だよなぁってしみじみ思う。
— ふく 🐇 (@BROKEN_ARK) June 18, 2020
伊豆大島のヒイミサマだけど、島の者たちが圧政に苦しんで反乱を起こし船で島を出てゆくというストーリーは、八重山諸島・波照間島のパイパティローマ(南波照間島)を思い出す。伊豆代官の豊島忠松の遭難死は1645年とされるが、パイパティローマのエピは1648年(八重山島年来記)だ。妙に近い。
— 祀亀洞(shikido) (@shikido_510) June 18, 2020
杉苔が美しい波治加麻神社。#伊豆大島 #波治加麻神社 #ヒイミサマ pic.twitter.com/J9FY76q9Em
— HORIZON伊豆大島 (@IzuOshima2015) May 16, 2022
伊豆大島・泉津地区は大島での海難法師の発祥の地であり、この地区のある家が海難法師を迎える。伝説では代官を殺した後、島民達は地区にある式内社、波治加麻神社の神木で船を造り、それに乗り海へ消えたという。大島では海難法師は「日忌様」(ヒイミサマ)と呼ばれ、島内にいくつか祠が祀られる。 pic.twitter.com/2aqaKIZNdW
— 幣束 (@goshuinchou) December 23, 2016
やはり風習にはいろんな言い伝えがあるようです。
少し怖い話ですがこの伝説や伝統を引き継いで行けたらいいと思います。
伊豆大島は一度も行った事はありませんが、都市伝説の話を調べているうちに観光に行って見たくなりました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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