三淵嘉子 高校や大学は?結婚相手は三淵乾太郎、経歴を徹底調査!

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三淵嘉子さんは、1914年11月に台湾銀行に勤めていた武藤貞雄さんの5人兄弟の長女としてシンガポールで生まれています。

そして、女性として初めての事をいろいろ経験して女性の地位を確立してきたようです。今回は三淵嘉子さんの経歴についてです。

この記事を読むと三淵嘉子さんの経歴やネットでの評価はどんな感じなのかが分かります。

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三淵嘉子さんの高校や大学は&経歴は?

高校は、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の付属高等学校です。

大学は、明治大学法学部です。

引用元:NHK

名前:三淵 嘉子(みぶち よしこ)

生誕:1914年11月13日、没:1984年5月28日

出生地:シンガポール

旧姓:和田

卒業大学:明治大学法科

職業:弁護士、裁判官

父親:台湾銀行勤務

1920年、 父親が台湾銀行東京支店に転勤したため東京渋谷区に引っ越しをしたようです。

1927年、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の付属高等学校に入学。

1932年、東京女子高等師範学校の付属高等女学校を卒業し、明治大学専門部女子部法科に入学し、1935年4月明治大学法学部へ進んだようです。 

 弁護士開業

引用元:NHK
引用元:NHK

1938年、明治大学法科を卒業し、高等文官試験司法科試験に合格、1940年に弁護士を開業しています。

その当時、日本初の女性弁護士として開業したのは明治大学同窓の中田和子さんと久米愛さんです。

ちなみに高等文官試験とは1894年から1948年まで日本で実施された高級官僚の採用試験のことを言います。以降の正式名称は高等試験となっています。

1946年、最初の夫である和田芳夫さんが戦病死しています。

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裁判官採用

引用元:NHK

1947年、裁判官採用願いを司法省に提出し、司法省民事局局付を経て最高裁判所発足に伴い最高裁民事局局付になっています。

そして、家庭局創設に伴い初代の家庭局局付に就任しています。

1949年、東京地裁判事補となっています。

石渡満子さんと共に初の女性裁判官に就任しています。

引用元:NHK

ちなみに石渡満子さんは女性として日本で最初に裁判官になった人です。

1952年、名古屋地方裁判所で初の女性判事になっています。

1956年、裁判官の三淵乾太郎(初代最高裁長官だった三淵忠彦の子供)さんと再婚し三淵姓になっています。

1972年、新潟家庭裁判所で初の女性家庭裁判所長になり、後に浦和家裁、横浜家裁の各所長を務め、1979年に退官し弁護士になっています。

そして1984年5月28日午後8時15分に骨癌のために69歳で死去しています。

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ネットでの評価は?

三淵嘉子さんの影響力があるという事は間違いないようです。

調べているうちに三淵嘉子さんの素晴らしさがよく分かってきます。

こんな素晴らしい女性がいたなんて凄いと思います。

今、三淵嘉子さんのような素敵な日本女性が存在していたら、今の日本も随分と違ってくるのかなという感じがします。

三淵嘉子さんって本当に素晴らしい女性です。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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