島田豊彰さんは、47歳でアルツハイマー型認知症と診断されても、考古学研究者として頑張って働き続けているようです。
そんな島田豊彰さんが気になったので調べてみました。
この記事を読むと島田豊彰さんはどんな人なのか、なぜ認知症と分かったのか、島田さんの夢は何なのかが分かります。
島田豊彰さんってどんな人?
16日(金) 3:30pm〜再放送 #ハートネットTV
— 樋口直美 🌿『誤作動する脳』『私の脳で起こったこと』 (@HiguchiNaomi) September 9, 2022
考古学研究者島田豊彰さんは若年性アルツハイマー病と診断された後も職場の理解を得て仕事を継続。発掘から展示解説係に異動。
「発掘の方が楽じゃない?」と知人は言ったが、頭に残っている膨大な知識とユーモアで来館者に説明する仕事はピッタリ。楽しそう https://t.co/kAVPgip5HT
島田豊彰さんは考古学研究者で、遺跡の発掘や出土品の展示をおこなう(公財)徳島県埋蔵文化財センターに勤めています。
専門研究員として考古学入門講座の講借「地味な土器からここまでわかった中世の阿波」を、やられていたようです。
場所は徳島市立考古資料館の研修室です。
2010年5月30日には「野洲川平野の中世」という考古学講座を行っています。
場所は徳島県立埋蔵文化財総合センターで、出土品の解説をしています。
島田さんは、考古学研究者としてはかなりの実力者のようですし、実績もあるようです。
〔最近の発掘から〕四国初、縄文時代の石製丸玉―徳島県阿南市深瀬遺跡(島田豊彰)という論文も出されていて、書籍になっているようです。
【講演】5月20日、徳島県小松島市の市立図書館で、「新見城遺跡展 報告会」開催。「新居見遺跡・縄文時代~古墳時代」(岡本和彦氏)/「新居見遺跡・古代~中世」(島田豊彰氏)。https://t.co/cB6TCIuKVY
— 歴史ナビ (@rekinavi) May 14, 2018
そして島田さんの肩書は、認知症の人と家族の会の徳島県支部会員です。
子どものころから憧れていた仕事に就いて20年以上経った47歳のとき、認知症と診断されたようです。
認知症はかつては、何もできなくなる病気と考えられていたようですが、国は今年から「治療しながら働くこと」を目指す病気に、癌や糖尿病と並んで「若年性認知症」を加えています。
認知症を発症してからも、働くことは可能であるとして、支援をすることにしたようです。
認知症と分かったきっかけは
65歳未満で発症する #若年性認知症 は本人や家族の生活に与える影響が無視できません。考古学研究者の島田豊彰さんは47歳のとき診断されましたが、職場の理解とサポートを得て仕事を継続しています。周囲はどう支えていけばよいのか。島田さんの経験を通して考えます【記事】https://t.co/HMGWk1tAbq
— NHKハートネット (@nhk_heart) December 13, 2022
認知症と分かったきっかけは、発掘作業をするときの作業のやり方がおかしいからのようです。
「島田の掘り方がおかしい」と言われたようです。
”『何がおかしいんですか。ちゃんと掘ってるじゃないですか』と思ったんですけど、『これがお前が掘った一部やけど、覚えてるか?』と言われて、それを見ると、ぐちゃぐちゃに掘っとるんですね。『あれ? 僕が掘った分ですか』って聞いたら、『そうじゃ』と。証拠を突きつけられたので、これは病院に行かなあかんと」(島田さん)”
引用元:nhk
検査を受けた結果「アルツハイマー型認知症」と診断されたようです。
その時の気持ちは、「今頃は調子は悪かったんだが不調の原因は病気のせいだったのか」、とわかって気持ちが楽になったと言っています。
そうかもしれませんよね。
仕事をする時に自分の思うようにいかない時の原因が分からなければ「なぜだろう?」と考えて困ってしまうことは多々あることだと思います。
そして原因がわかれば「あーそうなのか!」となんとなく感覚的によかった!と考えるのは仕方がないのかなと思います。
しかし認知症と分かれば「がっかり」するのは仕方がないのですが、仕事が上手くいかない原因がわかればそれはそれなりに済むのかなという感じがします。
社会復帰はどのようにしたのか?
問題提起 土器・陶磁器から見た中世阿波の流通と水運 (大会特集(1)「地力」と地域社会 : 徳島発展の歴史的基盤) / 島田 豊彰 https://t.co/WhOBX0PEa4
— 歴史学関係雑誌論文新着情報 (@historyarticles) September 11, 2017
社会復帰はどのようにしたのかということについては、みんなの協力のおかげで社会復帰ができたようです。
国がアルツハイマー型認知症でも支援することが決まっているので、島田さんの職場でもサポートに取り組んだようです。
当時の上司の湯浅利彦さんは、島田さんの状態を正確に把握して、どうしたら仕事がスムーズに進むかということを考えたようです。
そしてその情報を島田さんを含めた周りの人に共有するということが大事だと考えたようです。
そうすることによって島田さんは発掘などを担当する部署から展示や広報を担当する部署に変わったようです。
こうやってみるとアルツハイマー型認知症と診断されても、仕事を継続してすることができるようです。
そのためには職場の協力が当然必要になってくるのは当然のことです。
そして家族の協力ももちろん必要になってくるのは当たり前のことです。

みんなの協力を得て認知症と診断されても仕事を継続していくことは可能なことのようです。
そして認知症の一番の特効薬は人と喋ること!と言っています。
しかし調子の良いときばかりではないようです。
認知症にかかったら精神状態が不安定になるようです。
そして仕事どころではなくなるようなこともあったようです。
そういった時は病院から紹介された若年性認知症支援コーディネーターと相談しながらどうすれば働くことができるかを共に考えてきたようです。
ちなみに若年性認知症支援コーディネーターは、都道府県に1人以上配置されているようです。
そういうことも含めてみんなの協力があれば仕事を継続することができるようです。
島田さんの夢は
そして島田さんの夢はと言うと妻からは「定年まで働いて~」と言われています。
なので定年まで働いて退職後は農業がしたいそうです。
それからもし叶うのであれば、エジプトかイスラエルの遺跡の発掘調査に携わってみたいそうです。
学生時代には現地の発掘に従事したことがあるそうです。
なのでもう一度エジプトかイスラエルの遺跡の発掘調査に携わってみたいということなのでしょうね。
そして今の大きな夢は、全国の当事者に会いに行く事と、各地の美味しい酒を飲んで盛り上がりたいそうです。
*認知症の人や家族、支援者、一般の人がリレーをしながら、一つのタスキを繋ぎゴールを目指すイベントのことのようです。
島田さんの夢が叶ったらとても素敵ですよね。
島田さん、夢が叶うように頑張ってください。
応援しています。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
コメントを残す